2013年01月05日

巳年となる今年は「蛇神」を祀る大神神社(おおみわじんじゃ)へ初詣!

2013年の干支は「巳(み)」。

「巳」という字は、胎児の姿を表した象形文字だそうです。
また、蛇が冬眠から覚めて地上にはい出す姿を表しているとも言われ、
「従来の生活に終わりを告げる、始まりのとき」といった
意味があるようです。

さて、今年はどのようなことが始まるのか。。。


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大きな門松が参拝者を出迎えてくれた
 奈良県桜井市三輪の「大神神社」

巳年となる今年は「蛇神」を祀る
大神神社(おおみわじんじゃ)へ初詣!!

別名、三輪明神、三輪神社とも呼ばれる
日本最古の神社、大神神社は
奈良盆地をめぐる円錐形の山、
三輪山そのものがご神体(神体山)で
本殿をもたず拝殿から三輪山自体を拝む古神道(原始神道)の神社です。

三輪山に鎮座する大物主大神は、
水神・雷神を司る「蛇神」なんだとか。

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↑お正月だけあって、参道はたくさんの人で賑わっています
 人がとぎれるのを待って写真を撮りました。


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↑蛇があしらわれた手水舎で手と口を清め、拝殿へ

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本殿は設けず、この拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、
ご神体となる三輪山を拝するという、
原初の神祀りで参拝します。


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↑大きな杉の木の前には
 巳さんの好物とされる卵が、酒とともにお供えされています

江戸時代には、「雨降杉」とあり、雨乞いの時に里の人々が集まり、
この杉にお詣りをしました。

いつの時代からか、杉の根本に、巳(み=蛇)さんが
棲んでいると言われるようになり、
「巳の神杉」と呼ばれるようになったそうです。


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↑三輪山への登拝口の入り口に、大神神社の摂社となる
 「狭井神社(さいじんじゃ)」があります。


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狭井神社は、古くより華鎮社(はなしづめのやしろ)と称され、
病気を鎮める神様をお祀りしています。
みんなそれぞれ無病息災を願って参拝しているのでしょうか。


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↑狭井神社の裏にある「薬井戸(くすりいど)」
 この井戸から湧き出る水は、万病に効くと言わるご神水。

社名の「狭井」とは、神聖な井戸・泉・水源という意味があるようです。

薬井戸のご神水は、自由に飲むことができます。
私もいただきました。

なかには、ペットボトルなどに汲んで持ち帰る人もいますが
狭井神社の社務所でも、ペットボトルに汲まれたお水が
売られているので、容器を忘れても大丈夫ですよ。


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↑三輪山への登拝口

ご神体となる三輪山は、松・杉・檜などの大樹に覆われ
山内の一木一草に至るまで神宿るものとして、
一切斧(おの)が入れられていません。

神宿る山ゆえに、早い時代からみだりに
足を踏み入れることの出来ない禁足(きんそく)の山となり、
江戸時代には幕府より厳しい制札が設けられ、
神社の山札がないと入山することは出来ませんでした。

明治以降は、この伝統に基づいて
「入山者の心得」が定められ、
現在ではこの規則を遵守すれば登拝(とはい)することが出来ます。

狭井神社(さいじんじゃ)の社務所で、申し込みを行い
お祓いをすませて登拝します。

往復所要時間約2時間、多くの入山登拝の人たちが
山の中へと進んで行き、頂上付近の磐座を熱心に拝むのだそうです。


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2013年01月01日

「諭鶴羽神社」からの初日の出 in 淡路島


謹賀新年

2012年12月21日で終わりを告げたマヤ暦。
2013年、新しい年の幕開けです。

これからは、マヤ文明も予言できなかった(しなかった?)
時代が始まります。

私は、淡路島最高峰の諭鶴羽山(ゆずるはさん)から
初日の出を拝み新しい年をスタートしました。


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↑諭鶴羽山からの初日の出。

凛と冷たい空気に身も心も引き締まります。
それもそのハズ、この日の山頂付近の気温は氷点下3度!
それもで毎年、この風景が見たくて初詣にここへ来るのです。

淡路島の南部を東西に連なる諭鶴羽山の標高は607.9m。
もともとは608.3mだったのですが、阪神淡路大震災のあと
再度、計測した結果40cm低くなっていることが判明したそうです。

その山頂にほど近い約400m付近に鎮座しているのが
「諭鶴羽(ゆずるは)神社」です。


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太平洋を望む南側の山肌にひっそりと佇む古社で
神社に伝わる「諭鶴羽山縁起」によると、およそ二千年前の
第九代開化天皇の時代に開かれたとされています。

祭神は
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
速玉男命(はやたまおのみこと)
事解男命(ことさかのおのみこと)の三神。


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自然崇拝に始まったとみられる諭鶴羽参りは
平安時代の歌人、清少納言の「枕草子」にも
「峰はゆずるはの峰 あみだの峰 いや高の峰」と記されるほど
人々に崇拝され、熊野三山と並んで修験道としての隆盛を誇りました。

諭鶴羽神社は、和歌山県の熊野三山とも縁が深く
熊野の神は、この諭鶴羽山から渡って行ったと伝えられることから
元熊野宮とも呼ばれています。

神話には、第十代崇神天皇の治世に、西天竺の霊神が
『我が縁のある地に留まれ』と誓い
五つの剣を東に向かって投げたそうです。

一は、紀伊国、熊野三山に
一は、下野国、日光山に
一は、出羽国、出羽山に
一は、豊前国、彦山に
一は、淡路国、諭鶴羽山に留まったと伝えられています。

また、長寛元年(1163年)に書かれた『長寛勘文』の
「熊野権現御垂迹縁起伝」には、
甲寅の年、唐の天台山の霊神が九州筑紫国、英彦山の峰に降臨し
戌午の年、伊予国、石鎚山の峰に渡り
甲子の年、淡路国、諭鶴羽山の峰に渡りその後
庚午の年、熊野親宮・神蔵の峯へ渡られたと伝えられています。


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↑宝剣を祀る塚

諭鶴羽神社の境内神域は国立公園特別地域で、
社叢(しゃそう)林の「アカガシ群落」は
兵庫県指定天然記念物に選定されています。

また「親子杉」は兵庫の巨樹巨木に指定され
近畿百名山、ふるさと兵庫50山、ひょうごの森百選にも選ばれています。

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↑兵庫の巨樹巨木に選定された推定樹齢400年の「親子杉」

諭鶴羽神社の境内にある「タブの森」では
お正月に一年間の無病息災を願い
古木でお餅を焼いて食べる風習があります。


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↑境内のタブの森には、たき火用の古木やブロック、イス、金網が用意されており
 参拝者がそれぞれ火を熾しお餅を焼いて食べます。



ここで、もう一度
初日の出が海の上に登るまでの穏やかな風景をご案内しましょう。


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↑うっすらと採光が差し雲の向こうに暖かい光が見え始めました。
 いよいよ夜明けです。


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↑一瞬、空の色が深い青から薄いえんじ色に変わりました。
 夜明け前のこの薄いえんじ色は、はねず色といって縁起の良い色なんですよ。


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↑そしてまた空が青くなり、海の上にご来光が見えました。

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↑白いレースカーテンのような薄雲の向こうで
 太陽が暖かな光を放ち、海にオレンジ色の輝きを与えています。
 海と空が青々と活気づいてゆきます。


ちなみに、右端に見えている勾玉の形をした島は「沼島」といって
伊弉冉尊(いざなみのみこと)と伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が
巨大な柱の周囲をまわって婚姻を行ったといわれる
上立神岩がある島です。

淡路島には、古事記に記された国生み(くにうみ)神話があり
伊弉冉尊と伊弉諾尊が国土創世の際
「天の沼矛(ぬぼこ)」の先から滴り落ちた滴が固まりできた
おのころ島とも呼ばれています。



皆様のもとに
伊弉冉尊と伊弉諾尊、熊野神の
ご加護があらんことをお祈り申し上げます。

今年も良い年でありますように。



タグ:兵庫
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2012年11月25日

京都屈指の紅葉の名所「永観堂」


京都屈指の紅葉の名所「永観堂(えいかんどう)」。

京都市左京区永観堂町にあり、その地名にもなった東山の古刹で
約3000本の紅葉が境内を彩ります。


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永観堂(禅林寺)は、平安時代初期の863年に
弘法大師の弟子・真紹(しんじょう)僧都によって創建され
1100年余りの歴史を誇ります。


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↑瓦や白壁にも紅葉の赤い色が反射しています

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↑境内の紅葉

永観堂の歴史は、大きく三つの時代に分けられます。

真紹僧都から永観律師(ようかんりっし)が
住職になるまでの約220年間は真言密教の寺院でした。

その後、永観律師から静遍僧都(じょうへんそうず)までの
約140年間は、真言密教と奈良で盛んだった
三論宗系の浄土教寺院に、そして浄土宗の寺院となり現代にいたります。


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お気づきでしょうか?
この永観堂は、永観律師(ようかんりっし)の名に由来するのですが
ようかんどう、ではなく えいかんどう と呼ぶんですよ。


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永観堂といえば「みかえり阿弥陀像」でも有名ですよね。

その昔、永観が底冷えのするお堂で
ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して
行道していたそうです。

すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて
永観を先導し行道をはじめられた。
永観は驚き、呆然と立ちつくすと阿弥陀は
左肩越しに振り返り「永観、おそし」と声をかけたのだそうです。

永観は、その尊く慈悲深いお姿を後世に伝えたいと
阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は
今にその尊容を伝えると言われています。

実際にその「みかえり阿弥陀像」に手を合わせることができますが
撮影禁止のためこの場でのご案内はできません。
ご覧になりたい方は本堂の中にも足を運んでくださいね。


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↑一面を多い隠す紅葉
 赤い絨毯を敷き詰めたように鮮やかです


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↑放生池に浮かぶ弁天島とそこに架かる橋
 水面に映りこむ風景にも目を奪われます


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今年の紅葉は、急に冷え込んだこともあり
昨年よりも色づきが良くとてもキレイです。
過去に何度かこの季節に来たことがあるのですが
今までで一番見応えがあった気がします♪

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↑阿弥陀堂(本堂)を隠すレースカーテンのような紅葉

「みかえり阿弥陀像」を拝むため多くの観光客が
御影堂(大殿)や阿弥陀堂(本堂)を拝観するため
中は長蛇の列になっています。


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↑境内で鳥の巣箱を見つけました!
 どんな鳥が飛んでくるのかしばらく眺めていましたが
 観光客が沢山いることもあり。。。


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永観堂には、七不思議といわれるものがあるんですよ。
(七つじゃなくても七不思議・・・)

1 <抜け雀>
小方丈の欄間に描かれた雀の絵(狩野探幽の筆といわれる)
10羽の雀が描かれていたが、右の欄間の1羽がいつの間にか
消え去ってしまい9羽になっていた。
この欄間の裏に1匹だけ鼠が描かれていて
この鼠になったのではないかともいわれている。

2 <悲田梅(ひでんばい)>
永観律師が待ちわびて貧しい病人に梅の木の実を
施したといわれる梅の樹、かつては梅林ほどあったといわれるが
現在は一本だけになり小さな実をつける。

梅が実をつけていることの何が不思議なの?と思われた方いませんか。

梅の品種にもよりますが、梅の寿命は長くて100〜300年、
一般的には25年ぐらいから実の付き方が減少していくそうです。

永観が生きていた時代からその梅があったとするなら
樹齢は900年を超えるでしょう。


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3 <臥龍廊>
御影堂から、阿弥陀堂、開山堂に登っていく階段と廊下。
山の斜面に沿って、巧みに木を組み合せて作られ
釘を1本も使わずに造られている。
龍の背中がうねっているように大きく湾曲していて
龍の体内を歩いているような感覚が得られとか。

4 <三鈷の松>
御影堂の横に立つ、葉先が3つに分かれている珍しい松の古木。
「三鈷」とは、「智慧」「慈悲」「真心」を表す密教法具のこと。
この松の葉を持っていると3つの福を授かるといわれる


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5 <木魚蛙>
御影堂の裏のあたりで、4月から5月にかけて蛙(カエル)が
木魚を叩いているような声で大きく鳴くのですが
その姿を誰も見たことがないといわれる。

6 <火除けの阿弥陀>
瑞紫殿の本尊。開山した真紹僧都が安置した5体の仏像の一つで
他の4体は応仁の乱で焼失するがこの像だけ奇跡的に
焼け残ったため「火除けの阿弥陀」と称されて尊ばれる。


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7 <岩垣もみじ>
境内の裏の急斜面から生えている紅葉。
元の邸宅を所有していた平安時代初期の歌人 藤原関雄が隠居中に、
「奥山の岩垣紅葉散りぬべし照る日の光みるときなくて」と
詠んだことに由来して名付けられる。

8 <勅使門前の光る砂>
勅使門の前には、勅使が、歩いて身を清めるための盛砂がされている。
その砂が、月明かりに光り、明かり取りとしても利用されたといわれる


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さて、皆さんはこの七不思議のうち幾つ見つけられるでしょうか。
紅葉以外にも目をこらして探してみてくださいね。



タグ:京都
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