2012年09月10日

日本三大秘境のひとつ「祖谷(いや)」と古民家再生 NO.1


徳島県三好市に、日本三大秘境(※1)のひとつ
「祖谷(いや)」という場所があります。

世間を遠ざけるように人知れずひっそりと
時を重ねてきた山深き渓谷の集落。

ある人は「日本のチベット」と称し、
ある人は「日本のマチュピチュ」だと言うその場所を、
アメリカの東洋文化研究者アレックス・カー氏は
「日本のグランドキャニオン」と呼びました。

↓アレックス・カー氏について byフェリシモ「日本の美しいもの」

http://www.felissimo.info/nihon/about/

また、この祖谷は源平合戦・屋島の戦いで敗れた
平家の落人が隠れ住んだという伝説が残っている場所でもあります。

都会の喧騒とはまるで無縁の山里。
車で向かう道のりにもワクワクします♪
パラパラと降り出した雨が暗くなり始めた風景に
幽玄さをプラスしています。

道はどんどん細くなり、大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)の
祖谷川沿いを蛇行しライトが照らす山中へと車を走らせます。

秘境というからには、土埃が舞い石ころがゴロゴロしているような
ガタガタ道を想像していたのですが、意外にも
ちゃんとしたアスファルト塗装の道だったのでビックリ。

祖谷の宿に到着する頃には、雨はすっかり本降りで
民家も少なく街灯もないせいか、周囲は暗闇に包まれていました。


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↑宿泊した「茅葺き屋根」の古民家 築約100年

宿泊したのは、徳島県三好市が運営する
「桃源郷祖谷の山里」の<浮生>という名付けられた築約100年の古民家。

「桃源郷祖谷の山里」には
2012年4月にオープンした<浮生>と
2012年7月にオープンした<雨読><耕晴>の計3棟の
茅葺き民家ステイがあり、アレックス・カー氏が代表を務める
NPO法人「篪庵(ちいおり)トラスト」が
三好市からの委託を受けプロデュースしています。

この3棟は、2005年に
国の重要伝統的建造群保存地区に指定された「落合集落」内にあり
<浮生>は集落の一番上・標高860mの山の斜面に建っています。

↓「桃源郷祖谷の山里」のホームページ

http://www.tougenkyo-iya.jp/

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↑囲炉裏や黒光りした床と天井の梁が古き良き日本を蘇らせる
 「水」と書かれた床の間の掛け軸は、アレックス・カー氏の直筆

薄暗い室内にともるほのかな照明の明かりは
気持ちのゆとりと安心感を与えてくれる。
蛍光灯で煌々と照らされた室内が当たり前になった現代では
茅葺き古民家のこの雰囲気は、貴重な体験だ。


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↑便利が当たり前の時代。宿泊者に不便がないよう
 キッチン、浴室、トイレは近代的な設備になっていました。

ちなみに、水道設備がないため
お水は山の谷から引いてきているそうです。
飲んでみたら柔らかくて美味しいお水でした。
もちろん飲料水としては問題ないそうなので念のため!

でも、海外旅行でお水が原因で痛い思いをしたことがあったり
気にされる方のために、
ウォーターサーバーも用意されているのでご安心を!


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↑ホテルのような設えです

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↑夕食はケイタリングを予約!みんなで囲炉裏を囲み談笑♪
 祖谷そば・そば粥雑炊・ほど芋・石豆腐(いわとうふ)といった
 祖谷の郷土料理が満載です♪

鶏がコケコッコーと朝を告げる早朝5時。
早く秘境の風景をみたくて、早起きして宿の周辺を散策♪

どこにいても平等にやってくる朝なのに、祖谷の朝はどこか違う。


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↑<浮生>の窓から見た早朝の風景。昨日の雨に続き、あいにくの曇り空
 山にかかる雲をこんなに近くに感じたことはありません

襖を開けると、山と山の間に吸い込まれるように雲が流れ、
雲自体が意志を持って動いているような感覚にとらわれます。

朝、雲海ができていたら晴れ、雲が山へ流れていたら雨というふうに、
ここに住む人は、この雲で天気予報をするのだそうです。
雲が流れる今日の天気は、見ての通り雨です。


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↑宿泊した茅葺き屋根の古民家越しに見た、標高860mからの眺め
 茅葺き屋根の向こうには、雨を運ぶ雲が山々の尾根を
 滑るように移動しています


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↑コスモスが風にそよぐ山里
 晴れていたらどんな風景が見られたのだろう


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↑向かいの山の斜面に、曲がりくねった道と民家が見えます

こんな山の斜面に、よく家を建てたなぁと関心してしまいます。
山肌の田畑を見てもどのような生活をしてきたのだろうかと
これまでの村人の生き様のようなものを想像してしまいます。

やはり、この生活は人を寄せ付けない深い渓谷に隠れ住んだ
平家落人だから出来たのでしょうか。
この山里には、平家落人伝説が多く残されていますが
話しが長くなるので、省略します(すみません)


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↑宿泊した築約100年の茅葺き古民家<浮生>
 朝になってようやく外観を見ることができました


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↑<浮生>には、隣のお家の前にある小径を通って行きます

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↑祖谷そばの白く可憐な花が咲いていました
 水はけの良いこの土地では、そばの栽培が盛んで郷土料理にもなっています


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↑すぐ近くの裏山には、養蜂用の巣箱が置かれていました
 巣を作るのは野生の蜂だそうです。
 なんだか贅沢!その蜜を食べてみたーい!


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↑散策して宿に戻ると、早朝の景色とは違った雰囲気になっていました
 ぼうや〜よい子だ寝んねしな〜♪
 「まんが日本昔ばなし」のBGMが聞こえてきそう




先進的な技術を向上させ世界に認められるようになった日本。
その高度成長期の時代でさえ祖谷は、それらに染まることなく
ずっとそのままでありつづけました。


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昔の日本では当たり前だったはずの風景が今もここにはある。
何もないが、何かがある場所。

風が草木を渡り土や雨の匂いを運び、
田畑に作物の花が咲き蜜蜂や昆虫が憩い、
渓谷を流れる水は清く自然を潤す。

山肌に家を建て、自分たちが食べる分の田畑を耕し、
道を造り、生活をする。

スーパーもコンビニもこの集落にはないけれど、
ほんの少し自分たちが暮らせるだけのものを自然から分け与えてもらい、
野生動物の領域に居を構え生きている。

無駄に自然を破壊し、家の敷地や田畑を広げたりはしない。
与えてもらったものを大切に育み、ひっそりと慎ましやかに
大自然と共に生きる人々の思想が今も脈々と息づいている。

特に意識しているわけでもなく、
それが当たり前になっている暮らしがそこにあるのです。



この続きは
日本三大秘境のひとつ「祖谷(いや)」と古民家再生 NO.2 で
お楽しみください。



※ 1.日本三大秘境に、岐阜県の白川郷、徳島県の祖谷、宮崎県の椎葉村があります。
  ちなみに、宮崎県の椎葉村にも平家落人伝説があります。


タグ:徳島

2012年08月05日

京都の奥座敷 貴船で「川床」涼夏


夏、真っ盛りの猛暑日が続く中、
涼をもとめてやってきたのは、京都の奥座敷・貴船(きぶね)。

京阪電鉄「出町柳」駅から叡山電鉄に乗り継ぎ「貴船口」駅を降りると
そこは、すでにひんやりと涼しい空気に包まれていました。

駅を降りて見えたのは、青々とした木々の緑と
貴船川の清涼と川音、空気も澄んでいてとても気持ちがいい!!


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↑貴船川

叡山電鉄「貴船口」駅から貴船神社の奥宮まで
貴船川に沿って、20件近い料亭が軒を連ねます。

「川床(かわどこ)」は、桃山時代に
鴨川の中州や浅瀬に床机を設け、
客をもてなしたのが始まりといわれています。

貴船は、「京の奥座敷」と言われることから
「床(とこ)の間」と同じ感覚で
「川床(かわどこ)」と呼ばれるようになったそうです。

一方、鴨川は、川沿いに設けられた「高床(たかゆか)」が
省略されて「床(ゆか)」や「納涼床(ゆか)」と呼ばれています。


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↑川床料理を予約した「右源太」さん

駅に着くと川床料理を予約した「右源太」さんの
送迎バスが迎えに来てくれていました。

この時期、川床を楽しもうと多くのお客さんで賑わっています。
おかげで、車が動きません・・・。
料亭の近くまで来たので、途中下車し歩くことにしました。


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↑歩きながら貴船川を覗き込むと、みんな楽しそうに食事をしています。
 貴船川の上に設けられた川床。なんだか涼しそう〜。
 

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↑ずら〜り、宴席が並んでいます。

こんなに長いと、中ほどの席からは川面が楽しめないのでは・・・。
せっかくの川床がもったいないような。
どうか、予約した席が川の見える席でありますように!
と、ちょっと思ってしまいました。


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↑忙しそうな仲居さん。

早めに来たので、予約した時間までの間
貴船神社の本宮・結社・奥宮に参拝しました。

願いが叶う『三社詣』の順に、ブログにて紹介中!

一番目、貴船神社・本宮 ←クリックするとページが開きます♪
二番目、貴船神社・奥宮 ←クリックするとページが開きます♪
三番目、貴船神社・結社(中宮) ←クリックするとページが開きます♪

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↑太陽の日差しを遮るように、屋根が設けられています。

予約した時間になり、通されたのは
うれしいことに、川の水が岩肌を滑るように流れる
その真上の席!!

川瀬の音や水しぶきなど、川床が全身で体感できます!
この宴席で、美味しい料理が楽しめるなんて感激です。


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手を伸ばすと、ひんやりと冷たい川の水に触れられます。
貴船川の水が冷たいせいか、川面を渡る風も
クーラーのように涼しくて気持ちがいい!!

聞くところによると、貴船では
京都市内と比べて体感温度が、5度ほど低いそうです。

京都盆地特有の蒸し暑さからすれば、これはもう避暑地ですね。
どうりで、みんなが貴船に集まるはずです。


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↑私たちの席の後ろにも、川床の宴席が用意されています。

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↑席の前は、ずらりと宴席が並んでいます。

ちょうど、予約したお客さんが入れ替わるタイミングなので
仲居さんたちも、次の方を迎える準備で忙しそうです。

あとで知ったのですが、今回予約した「右源太」さんは
貴船神社に仕えた社家の家筋にあたり、
屋号は神官の役職で、明治維新後の神仏分離を機に
料理旅館に転身したんだそうです。

それに、旅館部門で2010年度から3年連続
ミシュランガイドで、星をもらったとか!
受付の方に聞くと「3つ星です」と言われました。


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↑先付けからはじまり、八寸が運ばれてきました。

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この季節ならではの「鱧のお吸い物」や「鮎の塩焼き」「お刺身」など
懐石料理が順番に出てきました。どれも、美味しかったです。

木々の緑に囲まれ、川のせせらぎと涼風そして蝉の声。
心も体も、ゆる〜りと癒される感じです。

私たちがゆっくり食事をしていたせいか
予約客が多かったせいか
料理を食べ終わって時計をみると3時間経っていました。

京都市内の気温は、33〜34度はあったかと思いますが
その時には、涼しいというより少し肌寒いくらいの涼夏でした。


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貴船(きぶね)は、気生根(きふね)ともいわれ
「気」の「生」まれる「根源」の地という意味があるそうです。

ストレス社会がささやかれる昨今、
疲れた「気」を清浄・癒すことで、新しい活力を生み出す!!

といったところでしょうか。



タグ:京都

2012年08月01日

源平合戦の古戦場「屋島」へ!


香川県高松市屋島東町の「屋島」山頂には
四国八十八ヶ所霊場の「屋島寺」をはじめ
「新屋島水族館」や瀬戸内海の絶景が楽しめる展望台の
「獅子の霊巌」、「屋島城跡」、「談古嶺」などがあります。


四国八十八ヶ所霊場の「屋島寺」についてはコチラ
↑クリックすると「屋島寺」のブログが開きますよ!

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↑屋島から見た瀬戸内海の風景(岡山県方面)

屋島は、源平合戦「屋島檀ノ浦の戦い」で、よく知られています。

檀ノ浦の戦いと言うと、平家が滅亡した
「壇ノ浦の戦い(現:山口県下関市)」と間違われそうですが
屋島の「檀ノ浦」は、木偏のダンで
下関の「壇ノ浦」は、土偏のダンとなり漢字が違います。

それぞれ異なる戦いなので、混乱されないように。
といっても私も最初は、混乱したんですが・・・(苦笑)


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↑屋島から見た瀬戸内海の風景(瀬戸大橋方面)


ここで少し、源平合戦の内容を確認しておきましょう!

平安時代の末期、後白河法皇の皇子以仁王の挙兵をきっかけに
各地で平清盛が率いる平家への反乱が起こります。
これが、治承・寿永の乱(1180年〜1185年)です。



1181年 反平氏勢力が活発化する中、平清盛が病死

1183年 5月
 倶利伽羅峠の戦いで、平氏軍が源義仲に大敗


1183年 7月
 源義仲に敗れた平氏は、安徳天皇(清盛の孫)と三種の神器を奉じ、
 都から落ちのび、讃岐の国(現:香川県)屋島に本拠地を移します。


1184年 3月
 平氏は京奪還にむけ、巻き返しをはかりますが
 一ノ谷の戦い(現:兵庫県神戸市)で、
 源義経らの鵯越の逆落としにあい総崩れ、屋島へ引き上げます。

 源範頼、源義経 VS 平知盛(清盛の四男)、平忠度(清盛の異母弟)
 この戦いで、平重衡(清盛の五男)が源氏に捕らえられてしまいます。
 源氏は、屋島の平宗盛(清盛の三男)に、
 三種の神器と重衡との交換をもちかけるが、宗盛はこれを拒否。

1185年 2月
 屋島檀ノ浦の戦いで平氏は破れ、西(壇ノ浦)へ落ちのびます。
 源義経 VS 平宗盛(清盛の三男)

1185年 3月
 壇ノ浦の戦い(現:山口県下関市)で、平氏が滅亡。
 源範頼、源義経 VS 平宗盛(清盛の三男)、平知盛(清盛の四男)


ちなみに、平重盛(清盛の長男)、基盛(清盛の次男)は、
清盛より先に死去しています。

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↑「談古嶺」から源平屋島古戦場が一望できます。

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↑史跡の場所を示した看板があって、照らし合わせながら
 その眺望が楽しめます。

とても広大なパノラマ風景だったので、
ブログのピクセル(掲載幅)内に収まらないため
3分割にしてご紹介いたします。

写真に加工をするのは好きではないのですが
風景だけでは、分かりにくいため
この辺りだろうと思われる場所に印を入れました。


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↑ ↑
印 「弓流し跡」
 源義経が平家の船から繰り出される熊手に引っかけられ
 弓を海へ落としてしまいます。
 「お捨てください」と制止するの家来の声も聞かず
 敵と戦いながら、海の波間に漂う弓を拾い上げます。

 「一張の弓と大将軍の命といずれが大事か」と声を荒げる家来に
 「叔父為朝の強弓なら敵に拾われても構わないが、
 源氏の大将がこのような弱弓を持っていると知れたなら、名を汚すことになる」
 と言ったそうです。

 弓を引くには、腕力がいるそうです。
 腕力のなかった義経の弓は、弱めに張ってあったと思われます。
 源氏の誇りを重んじた行為ではありますが、
 大将が、こんな弱弓を持っていると知れると、平家をつけあがらせてしまう。
 そういった思いもあったかもしれません。

印 「駒立岩」
 誰もが知っている源平合戦の名場面。
 屋島檀ノ浦の戦いの時、弓の名手・那須与一が
 平家の船先に掲げられた扇を射抜いた場所だと言われています。

 馬(駒)に乗って海に入り扇を射抜いたのですが
 その時、体勢を安定させるために海中の岩に馬を
 立たせたそうです。

印 「祈り岩」
 那須与一が、扇を射抜くよう命ぜられたとき
 「南無八幡大菩薩、我が国の神は、日光権現・・・(中略)
 どうぞ、あの扇の真ん中を射当てさせてくださいませ。(後略)」
 と、一心に祈った岩があるそうです。


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↑ ↑
印 「相引川」
 源平両軍が激闘を繰り広げた末、
 勝負つかず共に引き分けたことからこの名がついたそうです。

印 「庵治石(あじいし)採石場」
 源平合戦とは関係ないのですが・・・。
 香川県の庵治町・牟礼町にまたがる八栗五剣山の山麓で
 採石される「庵治石」は、主に燈籠・石彫・墓石などに用いられています。

 日本三大花崗岩の一つとしても知られ、
 今では、世界でも花崗岩のダイヤと呼ばれて高く評価されている石材。

 20世紀を代表する彫刻家イサム・ノグチも、この「庵治石」に魅せられ
 五剣山と屋島の間に、アトリエと住居を構え20年余りの間
 この地で、制作に励んでいたそうです。


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↑ ↑
印 「安徳天皇社」
 一ノ谷の戦いで大敗し屋島に逃げ帰った平氏(平宗盛)が
 軍司に命じて造営した幼帝・安徳天皇の仮の皇居跡。
 安徳天皇の死後、この地を霊所として祀っています。

印 「船隠し」
 源平合戦時、平家は源氏の軍船が海上から攻めてくると思い
 この入り江(突きだした半島の向こう側)に、
 平家の軍船を隠していたところから、この名があります。

一ノ谷の戦いでは、断崖から馬で奇襲(鵯越の逆落とし)され
屋島檀ノ浦の戦いでは、海から襲って来ると思っていた孤島(※)の屋島を
陸から攻められています。

平氏からすれば、どちらの場合も
来るはずがないと、思い込んでいた場所から攻められ
源氏の意表を突いた戦略が勝利しています。

※現在の屋島は、江戸時代の開拓で陸続きになっていますが
 それまでは、その名の通り島でした。

 当時、自然の要塞のような屋島は平氏にとって絶好の陣地でした。
 島だっため源氏は海から攻めてくると思っていたのです。

 源義経は、地元の者から潮が引くと牛で屋島に渡ると聞き
 その時を待って、陸から攻めたのです。

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↑屋島寺の近くには「瑠璃宝池(血の池)」と呼ばれる池があります。

案内看板によるとこの池は、
弘法大師空海が屋島寺伽藍草創のおり
「遍照金剛三密行所 当都率尺 内院管門」と書き、
宝珠と共に納め、その周りに池を掘ったとあります。
その宝珠を、龍神が奪いに来ると伝えられていることから
瑠璃宝池と呼ばれるようになった。

とあり、その続きに

源平合戦の時に、源義経をはじめ源氏の兵が
血のついた刀等を洗い、池の水を真っ赤に染めたことから
血の池とも呼ばれています。
とも書かれていました。


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↑獅子の霊巌(れいがん)と呼ばれる展望台からの眺め(高松駅方面)

入り江の辺りに緑が生い茂る場所がありますが
そこが、高松城跡にできた玉藻公園です。

屋島寺は、その高松城の鬼門封じの寺として
藩主より代々庇護されてきました。

また、ここ獅子の霊巌で出来るのが「かわら投げ」です。
源平合戦で勝った源氏が
陣笠を投げて勝ちどきをあげたことに由来するそうです。

直径2〜3cmほどの丸く平たい素焼きのかわらけを
陣笠にみたて、開運厄除け・家内安全など自身の願いを込めて
海にむかって投げるんだそうです。


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悠々とした伸びやかな風景が、とても気持ち良かった!!
そのまま、右へ目をやると瀬戸内海の大海原が見えます。

でも、なにやら天候があやしい・・・。

さっきまで、良い天気だったのですが
少し風がでてきて、降っているのかどうか分からないくらいの
小さな雨粒がパラパラと頬にあたります。


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↑天気の境目だ!!

目の前に広がっているのは
どうやら、天気の境目のようです。

左半分は、晴れ間が出ていますが
右半分は、暗雲が立ちこめ小雨が降っています。

感動です!!
風が強まり、雨が本降りにならないかと心配しながらも
初めて見る光景に、思わずシャッターをきりました!!

もしや、龍神が雨雲を引き連れて宝珠を奪いに来たのでは・・・、なんてね。

この展望台に立って数分後の出来事だったので
タイミングの良さにビックリ。
自然現象さん、見せてくれてありがとう。


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↑天気の境目、暗雲を越えた右方向の風景

幸い、ゲリラ豪雨に合うこともなく
ほどなくして、暗雲もどこかへ行ってしまい晴天に戻りました。


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こんなに気持ちの良い風景をみると
本当に、環境汚染が進んでいるのかと思ってしまいます。

平氏の船を運んだ風と海、源氏の騎馬が駈けた野山や浜、
約830年前、平清盛や源義経が生きた平安時代の
雲や空・海・山は、もっと色鮮やかに、もっと活きいきと
大きな大自然に包まれていたんじゃないかと思うのです。

源平の武者たちは、生死をかけた戦いの最中
どのような想いでその風景を眺めていたのでしょうか。



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