三重県伊賀市の上野公園内に
清らかにその姿を称える藤堂高虎ゆかりの
伊賀上野城(別名:白鳳城)がある。
もともとは、筒井定次(つついさだつぐ)が築城したのですが
豊臣秀吉の没後、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝ち、
豊臣政権の継承者としての地位を確立するため失政を理由に改易。
その後の慶長13年(1608)8月、
徳川家康は信任が厚かった藤堂高虎(とうどうたかとら)に
来るべく大坂との決戦に備え伊賀上野城を任せます。
筒井定次の城は、大坂城の出城として大坂を守る形をとっていたのに対し、
藤堂高虎の城は、大坂を攻撃するための城と全く逆の立場の城となりました。
当時、大坂城には豊臣秀頼がおり
豊臣氏包囲網の一城となったのです。
築城の名手だった藤堂高虎は、上野城を有事の根城として
本丸を西に拡張し、高さ約30mという高石垣をめぐらし
筒井氏の築いた城の大改修を行いました。
天守閣の中は博物館として利用されており
鎧甲や刀、殿様が乗っていた駕籠などが展示されています。
↑藤堂高虎が豊臣秀吉から拝領したといわれる兜(三重県指定文化財)
のちに藤堂良重が拝領、この兜をかぶり大坂夏の陣に出陣し
豊臣方と戦い討死したといわれています。
↑階段で二階に上がると格天井になっていて
面々たる著名人の絵画や書が飾られていました。
↑一番驚いたのはこの絵!横山大観が描いた月の絵だそうです。
こんな所で思いがけずこんな素晴らしいものを
拝見できるなんて感激です♪
↑名前をみると徳川家や徳富蘇峰などの著名人ばかりです
現在の天守は、昭和10年(1935)に地元の名士・川崎克氏が私財を投じて
純木造の復興天守として再建しました。
名前は、伊賀上野城ではなく伊賀文化産業城と言われていたそうです。
個人的に、川崎克氏に拍手喝采です。
よくぞ純木造で再建してくれました!!
大阪城に初めて行ったとき、コンクリート造りとエレベーターに
かなりどん引きしました。興ざめもいいところです。
確かにお城を造ること自体、巨額の資金も必要ですし
維持管理も大変ですが、そのためにコンクリートで作ってしまうのは
いかがなものかと内心思ったものでした。
↑欄間も弓と弓矢で作られています。細かい造りに関心してしまいます。
↑窓からはかつての城下町をみることができます。
当時はどのような風景が広がっていたのでしょうか。
↑天守閣を出て掘りを見下ろしてみると!
↑これが高さ約30mの高石垣(たかいしがき)です。
大阪城の石垣と日本で一位・二位を争う高さだそうです。
ちなみに城跡は、昭和42年(1967)に国史跡に
天守は、昭和60年(1985)に伊賀市の文化財に指定されています。
↑上野市の向こうに見える山々も紅葉して美しい。
秋の空に良く映えています。
↑イロハモミジでしょうか、上野公園内の木々も色鮮やかに染まっていました。
のんびり散策していると木の陰から
背中に刀を差した小さな小さな忍者がひょっこり走ってきました。
なんて可愛いらしい♪
どうやら兄弟のようです。
ゴムの手裏剣を投げたり、斜面をのぼったり元気に走り回る
子供たちをお母さんと祖父母がニコニコと眺めています。
伊賀といえば、やはり伊賀流忍者ですよね。
まさかこんな形で出会えるなんて♪
可愛い〜♪と騒いでいたらおじいさんが
衣裳貸してもらえるよ!と教えてくれました。
どうやら大人でも変身できるらしい。
毎年「忍者フェスタ」というものが開催されているようで
その時期になると大人も子供も忍者に扮し
町中が忍者だらけになるんだとか。
身を隠すのが忍者でしたが平成の忍者は
目立つことを許されているようです(笑)
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