2012年07月28日

旧鐘紡舞子倶楽部 旧武藤邸 in 舞子公園


明石海峡大橋を望む、舞子公園内に
「孫文記念館(移情閣)」と隣接する建物があります。
↑「孫文記念館(移情閣)」のブログは、こちらをクリック!

それが、旧鐘紡舞子倶楽部・旧武藤山治邸です。

DSCF7899.JPG

旧鐘紡舞子倶楽部・旧武藤山治邸は、
鐘紡(のちのカネボウ株式会社)の中興の祖と言われ
衆議院議員としても腕をふるった武藤山治氏が
明治40年に建てた木造二階建ての住宅です。

設計は当時、横河工務所に勤め帝国劇場などの建設に関わった
大熊喜邦(おおくま よしくに)が手がけています。
旧武藤山治邸の建築の後、大熊は「国会議事堂」などの建設を統括しています。

2011年7月に、旧鐘紡舞子倶楽部・旧武藤山治邸は
国の登録有形文化財として登録されました。


DSCF7896.JPG

この建物は、周囲をベランダで囲んだコロニアル様式で建てられ
円形のバルコニーや外観の下見板張、
屋根の天然スレート葺きなどが特長です。

武藤山治氏が亡くなったあとは、鐘淵紡績株式会社に寄贈され
「鐘紡舞子倶楽部」と名付け、福利厚生施設として利用されていました。


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↑1階の食堂です。家具や暖炉は当時のものが残っているそうです。

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↑天井もおしゃれで木目もキレイ!
 照明の根本は、地中海地方に多く分布する
 アーカンサスという植物のレリーフが施されています。

また、天井と壁の境目には廻縁(まわりぶち)が用いられ
細かな作業がされています。


DSCF7845.JPG
↑別の角度から見た食堂。
 ドアの向こうはホールになっていて、2階への階段があります。


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 食堂の内側のドアです。
 このドア枠やドアヘッドの装飾をはじめ
 建具も立派で、とても手が込んでいます。














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↑食堂横のホールからの眺めです。

お気づきでしょうか?

食堂の内側のドアと、ホール側のドアでは
ドア枠やドアヘッドのデザインが違っています。


DSCF7887.JPG ホール側のドアヘッドを
 拡大すると、こんな感じ。

 内と外で、デザインを
 変えるなんて!!すごい!
 コスト削減を前提に造る
 現代では、ほとんど
 採用されることはないでしょう。

 その心の豊かさや、物作りへの
 こだわりが、その時代には、
 ちゃんとあったんだと
 うれしくなりました。


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↑大きな窓と、どっしりとしたソファが置かれた応接室。
 しっとりと品のある雰囲気です。


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↑ホールには、2階への階段があります。
 赤い絨毯が敷かれた階段横には、ステンドグラスがはめ込まれ
 おしゃれな空間を演出しています。


DSCF7890.JPG
↑ステンドグラスを建物の外から見ると、こんな感じです。
 細工がセンス良く仕上がっています。

2階には、広間・貴賓室・書斎があり
円形のバルコニーが、海辺の開放感を一層もり立てています。


DSCF7869.JPG
↑書斎は、入室禁止になっていましたが
 どっしりとした空間が漂っていました。


DSCF7878.JPG
↑広間の窓からの眺め。円形のバルコニーの向こうには
 ホテルセトレと舞子の海が見え、
 海辺のリゾート地ならではの風景が広がります。


DSCF7860.JPG
↑広間の大きな窓からは、雄大な「明石海峡大橋」が見えます。

窓ガラスも古く、現代のように屈折なく見通せるガラスの製造技術が
まだなかった時代のもの。

古い窓ガラスは、歪みがあり物が屈折して見えたりします。
逆に現代で、こんなガラスを造る方が難しいと聞いたことがあります。

古い年代の建物を見学するときに、少し注意して見てもらうと
発見があって楽しいですよ。

旧鐘紡舞子倶楽部・旧武藤山治邸の窓ガラスも古いので、
明石海峡大橋が少し歪んで見えます。
写真では、分かりにくいかもしれませんが・・・。


DSCF7804.JPG
↑体験ツアーで明石海峡大橋から見た
 「孫文記念館(移情館)」画面左手前と「旧武藤山治邸」画面右奥。


明石海峡大橋の主塔・塔頂、体験ツアーの様子(ブログ)は
こちらをクリックするとご覧になれます!


旧武藤山治邸の後ろ(画面右奥)にあるビルは
明治天皇の書道と歌道の師範を勤めた
四親王家のひとつ、有栖川宮(ありすがわのみや)家の
別邸跡地に建つ「シティーホテル舞子ビラ神戸」です。

有栖川宮家9代目の熾仁(たるひと)親王が
丘陵からの眺めをいたく気に入られ
別邸を建設(明治27年竣工)したそうです。

熾仁親王は、17歳のときに孝明天皇の妹・和宮親子内親王と婚約。
ですが、大老・井伊直弼や関白・九条尚忠らの公武合体策のもと破談となり
皇女和宮は、将軍・徳川14代目の家茂のもとへ降嫁することになります。

ちなみに、有栖川宮家は後嗣がなかったことから
10代目の威仁(たけひと)親王を最後に断絶しています。




少し横道にそれたので、元に戻ります。。。

本来、旧鐘紡舞子倶楽部・旧武藤山治邸には、
今回紹介した洋館のほかに、付属棟・和館などが
併設されていました。

福利厚生施設として、しばらくの間利用されていましたが
1995年(平成7年)に、明石海峡大橋の建設にともなう
国道2号線の拡張工事のため、洋館のみが
神戸市垂水区狩口台へ移築されました。

それから12年後の2007年(平成19年)、
カネボウ株式会社より、家具・絵画・蔵書などと共に
兵庫県へ寄贈され、現在の舞子公園内に移築・復元され
2010年(平成22年)11月より公開されています。


タグ:神戸
posted by ショコラ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 名建築
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