2012年05月13日

「大阪市中央公会堂」のせつない話

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大阪市民なら誰でも知っている大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は
今から約90年以上前、1918年(大正7年)に竣工。

以前は、ビジネスマンが行き交うだけの地味な印象があったのですが
2008年10月に開通した、京阪電車・中之島線のおかげか、
街並みは整備されとてもキレイになりました。


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赤煉瓦と石の白いライン、ドーム型の青銅屋根が印象的な大阪中央公会堂。
みなさんは、この建物の完成までのエピソードをご存じでしょうか。

当時、早稲田大学の教授だった岡田信一郎氏が今でいう設計コンペに当選。
岡田氏の案を基に、のちに東京駅を設計した辰野金吾(たつの きんご)氏と
関西建築協会初代理事長の片岡安(かたおか やすし)氏が開設した、
「辰野片岡建築事務所」が実施設計。約5年の歳月をかけて完成します。


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↑この赤煉瓦と石の白いラインは「辰野式」といわれ
東京駅にもこのデザインが採用されていますよね

大阪市中央公会堂の竣工後は、歌劇などで大変賑わったそうです。
また、ヘレンケラーやガガーリン、ゴルバチョフ氏の講演会も
ここで行われました。



辰野片岡建築事務所は、かなり有名で
今でもその建築物は名建築として保存されています。
北浜にある「高麗橋ビルディング(旧日本教育生命保険)」もその一つです。


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↑高麗橋ビルディング 2008年までは「シェ・ワダ」が入店していましたが
 今は別の店舗が営業されています


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↑北側の様子

話を戻します。

大阪中央公会堂は1999年3月〜2002年9月に、
歴史的建造物としての保存と復元修復作業に加え、
耐震性を持たせるための免震工事が施されました。

そして工事完了の同年12月に、公会堂建築物として西日本で初めて
「国の重要文化財」に指定。


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↑免震を施したため、地震時に建物と地面がぶつからないよう
大阪中央公会堂と地面の間には溝が作られています



この立派な大阪市中央公会堂を語るうえで、
もう一人忘れてはいけないのが、
大阪株式取引所(現:証券取引所会員)の仲介人、
「義侠(ぎきょう)の相場師」と呼ばれた岩本栄之助氏です。

明治の後期、岩本氏は渡米実業団に参加。
アメリカの多くの富豪が財産や遺産などを
公共施設や慈善事業に投じていることに感銘を受けます。

帰国後、自らも約100万円の私財を公共施設建設のため大阪市に寄付。
この投資額は、今の金額にすると数十億円という
かなり巨額なものでした。

江戸時代、堂島川と土佐堀川に挟まれたこの中之島は、
各藩の蔵屋敷があり流通の要だったそうです。

明治にはこの蔵屋敷が廃しされ、
郵便局や裁判所、学校、病院、図書館などの公共施設が
次々と建設されていきます。
大正に入り岩本氏が寄付した公会堂建設資金で、
大阪市が計画を進めコンペにいたったのです。

完成までの間、第一次世界大戦がはじまり
その影響を受け、株で大損失を出した岩本氏は、
公会堂の完成を見ることなく自ら命を絶ってしまうのです。

なんとも切ない話。
もし寄付をしていなかったら・・・。
もう少し寄付金を減額していたら・・・。
この建物の歴史と岩本氏の人生は、もっと変わっていたかもしれません。


タグ:大阪
posted by ショコラ at 00:00| Comment(0) | 名建築
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