2012年07月28日

数寄屋造近代和風住宅 旧木下家住宅 in 舞子公園


明石海峡大橋を望む、舞子公園の片隅に
数寄屋造近代和風住宅 旧木下家住宅があります。

旧木下家住宅は、又野良助(またの りょうすけ)氏の
私邸として1941年(昭和16年)、
第二次世界大戦の戦時中に完成しています。

戦後の1952年(昭和27年)に、木下吉左衛門氏の所有となり、
2000年(平成12年)に、故木下吉治郎氏のご遺族から
兵庫県に寄贈を受けています。


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数寄屋造(すきやづくり)とは、茶室風の様式を取り入れた建物のことで
装飾を排し簡潔な造りで、わびさびを重んじた建築物のこと。

安土桃山時代から江戸時代にかけて完成した
建築様式の1つといわれ、数寄屋造の代表例として
京都の「桂離宮」や「修学院離宮」があげられます。

旧木下家住宅は、創建時の屋敷構えを
ほぼ完全に残す貴重な建物として、
2001年(平成13年)12月に、国の登録有形文化財に登録されました。


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旧木下家住宅へは、JR線の北側
舞子公園内の松林を横切り北上した所にあります。


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↑舞子公園の松林。
 緑に覆われた地面と松の風景は、清浄さの中にも威勢を感じます。


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↑JRの線路を越え舞子公園の松林を横目に北上すると
 木々が生い茂る「旧木下家住宅」の入口にたどり着きます。
 この階段を登り、ずずいーっと奥まで。


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↑木に囲まれた小径が続きます。塀の向こうは、前庭になっています。

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↑やや長めの小径を行くと、建物の玄関が見えてきます。

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↑応接室です。大きな窓からは、緑豊かで涼やかな前庭が見えます。
 部屋の角を壁ではなく、窓にすることで室内に
 ゆったりとした開放感がうまれています。


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↑主屋の広縁。広縁の右側に座敷があり前庭が見渡せるようになっています。

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↑主屋の広縁を外から見ると、こんな感じ。
 庇の下には、欄間のようなものが施されています。
 さりげないおしゃれが、心憎いですね。


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↑広縁の天井は、数寄屋造や純和風建築などで、しばしば見かける
「船底天井」と呼ばれる、勾配のついた天井になっています。

また、右側の欄間には聞香で使用される「源氏香」の
模様が施されています。

上部を見上げる人も少ないと思いますので
こういう古い建築物を見学するときは、
ぜひ、頭上にも目を配ってみてください。


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↑広縁の突き当たりには、書院があります。
 雪見障子から前庭が見え、品と落ち着きのある部屋になっています。
 この窓から、ぜひ雪景色を眺めてみたい・・・。


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↑書院の室内。

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↑外から見た書院。雰囲気があってステキです♪

分かりますか?
庇を支える3本の柱、土台は石なんですよ!


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↑座敷には床の間があり、そこに使われている木材の使い方や配置の仕方など
 何気ない所にも、こだわりが見え隠れしていました。


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↑床の間の天井も、凝っています。
 確か「三色木目網代編み(?)」と係の方が言っていた気がします。
 説明によるとこの技法、編める人がもういないんだそうです。
 (間違ってたらすみません。。。)

私が拝観したときには、ボランティアのガイドさんがいて
使われている木材やその技術など各部屋の見所や
部屋の役割と諸処のいわれ、お庭などについて、
分かりやすく説明してくださいました。

ガイドさんの説明がなければ、気付くこともなく
見落としていたと思われる、工夫やこだわりを
各所に見ることができました。

おもてだった華やかさはないけれど
見えないところで、ちょっと粋なことをする
それが「数寄屋造」なんだと、ひしひしと実感しました。

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↑中室から縁側への出入口。建具は夏仕様の葦を使った
 「夏障子」になっています。風流でいいすね〜。


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↑縁側から見た中庭。旧木下家住宅には、前庭と中庭の2つのお庭があります。
 左に見える丸い窓は、茶室の待合いになっています。


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↑待合いの丸い窓の外には、燈籠やつくばいが配置されています。

よ〜くご覧ください。何か気付きませんか?

そうです、手前にある柱は石の上に乗っています。
そんなことをよく考えたな〜、と思わず関心しました。


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↑茶室です。本格的な造りになっていて、思わず正座してしまいました。

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↑茶室のにじり口です。天井は、外部にある庇を室内に入れ
 屋根裏を見せる「掛込天井」を用い、ありのままの姿を
 大切にする技法を採用しています。 


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↑にじり口と障子を開けると中庭が見えます。
 当時の人はこの茶室から見る中庭を、どのように眺めたのでしょうか。


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数寄屋造近代和風住宅 旧木下家住宅は
敷地面積、約2209平米(約668坪)
総建築面積、約343平米(約103.7坪)
という立派な建物。

ですが、よくよく考えると
第二次世界大戦の戦火を逃れ、阪神淡路大震災での被害も少なく
ここまで無事に生き抜いてきた住宅ともいえます。

そう思うと考え深いものがあり、
施工主や建築にたずさわった職人さんの想いを感じながら
建物内をもう一度、見学し直しました。

造った人や住んでいた人は、
この建物が、こんなに大切にされ
国の登録有形文化財に登録されたことを
草葉の陰で自慢しているかもしれませんね。



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旧鐘紡舞子倶楽部 旧武藤邸 in 舞子公園


明石海峡大橋を望む、舞子公園内に
「孫文記念館(移情閣)」と隣接する建物があります。
↑「孫文記念館(移情閣)」のブログは、こちらをクリック!

それが、旧鐘紡舞子倶楽部・旧武藤山治邸です。

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旧鐘紡舞子倶楽部・旧武藤山治邸は、
鐘紡(のちのカネボウ株式会社)の中興の祖と言われ
衆議院議員としても腕をふるった武藤山治氏が
明治40年に建てた木造二階建ての住宅です。

設計は当時、横河工務所に勤め帝国劇場などの建設に関わった
大熊喜邦(おおくま よしくに)が手がけています。
旧武藤山治邸の建築の後、大熊は「国会議事堂」などの建設を統括しています。

2011年7月に、旧鐘紡舞子倶楽部・旧武藤山治邸は
国の登録有形文化財として登録されました。


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この建物は、周囲をベランダで囲んだコロニアル様式で建てられ
円形のバルコニーや外観の下見板張、
屋根の天然スレート葺きなどが特長です。

武藤山治氏が亡くなったあとは、鐘淵紡績株式会社に寄贈され
「鐘紡舞子倶楽部」と名付け、福利厚生施設として利用されていました。


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↑1階の食堂です。家具や暖炉は当時のものが残っているそうです。

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↑天井もおしゃれで木目もキレイ!
 照明の根本は、地中海地方に多く分布する
 アーカンサスという植物のレリーフが施されています。

また、天井と壁の境目には廻縁(まわりぶち)が用いられ
細かな作業がされています。


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↑別の角度から見た食堂。
 ドアの向こうはホールになっていて、2階への階段があります。


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 食堂の内側のドアです。
 このドア枠やドアヘッドの装飾をはじめ
 建具も立派で、とても手が込んでいます。














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↑食堂横のホールからの眺めです。

お気づきでしょうか?

食堂の内側のドアと、ホール側のドアでは
ドア枠やドアヘッドのデザインが違っています。


DSCF7887.JPG ホール側のドアヘッドを
 拡大すると、こんな感じ。

 内と外で、デザインを
 変えるなんて!!すごい!
 コスト削減を前提に造る
 現代では、ほとんど
 採用されることはないでしょう。

 その心の豊かさや、物作りへの
 こだわりが、その時代には、
 ちゃんとあったんだと
 うれしくなりました。


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↑大きな窓と、どっしりとしたソファが置かれた応接室。
 しっとりと品のある雰囲気です。


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↑ホールには、2階への階段があります。
 赤い絨毯が敷かれた階段横には、ステンドグラスがはめ込まれ
 おしゃれな空間を演出しています。


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↑ステンドグラスを建物の外から見ると、こんな感じです。
 細工がセンス良く仕上がっています。

2階には、広間・貴賓室・書斎があり
円形のバルコニーが、海辺の開放感を一層もり立てています。


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↑書斎は、入室禁止になっていましたが
 どっしりとした空間が漂っていました。


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↑広間の窓からの眺め。円形のバルコニーの向こうには
 ホテルセトレと舞子の海が見え、
 海辺のリゾート地ならではの風景が広がります。


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↑広間の大きな窓からは、雄大な「明石海峡大橋」が見えます。

窓ガラスも古く、現代のように屈折なく見通せるガラスの製造技術が
まだなかった時代のもの。

古い窓ガラスは、歪みがあり物が屈折して見えたりします。
逆に現代で、こんなガラスを造る方が難しいと聞いたことがあります。

古い年代の建物を見学するときに、少し注意して見てもらうと
発見があって楽しいですよ。

旧鐘紡舞子倶楽部・旧武藤山治邸の窓ガラスも古いので、
明石海峡大橋が少し歪んで見えます。
写真では、分かりにくいかもしれませんが・・・。


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↑体験ツアーで明石海峡大橋から見た
 「孫文記念館(移情館)」画面左手前と「旧武藤山治邸」画面右奥。


明石海峡大橋の主塔・塔頂、体験ツアーの様子(ブログ)は
こちらをクリックするとご覧になれます!


旧武藤山治邸の後ろ(画面右奥)にあるビルは
明治天皇の書道と歌道の師範を勤めた
四親王家のひとつ、有栖川宮(ありすがわのみや)家の
別邸跡地に建つ「シティーホテル舞子ビラ神戸」です。

有栖川宮家9代目の熾仁(たるひと)親王が
丘陵からの眺めをいたく気に入られ
別邸を建設(明治27年竣工)したそうです。

熾仁親王は、17歳のときに孝明天皇の妹・和宮親子内親王と婚約。
ですが、大老・井伊直弼や関白・九条尚忠らの公武合体策のもと破談となり
皇女和宮は、将軍・徳川14代目の家茂のもとへ降嫁することになります。

ちなみに、有栖川宮家は後嗣がなかったことから
10代目の威仁(たけひと)親王を最後に断絶しています。




少し横道にそれたので、元に戻ります。。。

本来、旧鐘紡舞子倶楽部・旧武藤山治邸には、
今回紹介した洋館のほかに、付属棟・和館などが
併設されていました。

福利厚生施設として、しばらくの間利用されていましたが
1995年(平成7年)に、明石海峡大橋の建設にともなう
国道2号線の拡張工事のため、洋館のみが
神戸市垂水区狩口台へ移築されました。

それから12年後の2007年(平成19年)、
カネボウ株式会社より、家具・絵画・蔵書などと共に
兵庫県へ寄贈され、現在の舞子公園内に移築・復元され
2010年(平成22年)11月より公開されています。


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孫文記念館(移情閣) in 舞子公園


明石海峡大橋の袂、舞子公園の中に
「孫文記念館(移情閣)」があります。

この記念館は、中国の革命家・政治家・思想家である「孫文」を
顕彰する日本で唯一の博物館です。


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もともとは神戸で活躍していた中国の実業家・呉錦堂の
海松別荘が前進で、のちに別荘の東側に
八角三層の楼閣が建てられました。

楼閣の八方の窓からは
六甲山、大阪湾、紀州、淡路島、瀬戸内海、播磨など
様々な風景や異なった趣を楽しめることから
「移情閣」と呼ばれるようになりました。


また、どこから見ても外観の三面が見えることから
当時は「舞子の六角堂」とも呼ばれていたそうです。

今から約100年前の1913年(大正2年)、孫文が亡命中に来神し
神戸の中国人、経済界有志が開いた移情閣での
歓迎会がきっかけで、この建物との関わりが始まったといわれます。


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移情閣の外壁には、大小様々なコンクリートブロックが使われ
現存する国内最古のコンクリートブロック造の建物として評価されています。

1993年(平成5年)12月に「兵庫県指定重要有形文化財」に指定され、
2001年(平成13年)11月に「国の重要文化財」に指定されました。


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↑八角形に作られた移情閣の造りや仕様は、見事の一言!

中央部のテーブルには、パソコンが置かれ舞子公園内や
移情閣についての説明映像が見られるようになっています。


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↑緑の壁紙が凄く美しく、天井の仕様も素晴らしい!
 天井の中央部の彫刻にも注目してください。


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↑鳳凰と牡丹の彫刻の素晴らしさには、ため息がでます。

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↑この緑の壁紙は「金唐紙(きんからがみ)」と呼ばれ
 和紙と金箔で作られる日本の伝統工芸で、明治時代の製法で作られています。

表面はエンボスのように凹凸があり
模様が立体的に浮かび上がっています。

一見すると壁紙ではなく、漆喰を塗った壁に
色を付けたかのように見え、とても華やかです。

また、木枠と金唐紙との境目には、金のロープが施され
職人の細かなこだわりが見受けられます(写真右)


金唐紙は、明治から大正にかけて一世を風靡し、
鹿鳴館や国会議事堂を飾り、
海外では、バッキンガム宮殿に採用されたと伝えられています。

現在、国内で見られる金唐紙は、ごくわずかなんだそうです。


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↑移情閣の内部にある階段にも金唐紙を仕様しており
 木の腰壁と照明のほのかな明かりが、
 大正ロマンの雰囲気を醸し出しています。


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↑一方、孫文記念館の廊下の壁や天井は白で統一され、
 絨毯の赤がひときわ目を引いていました。


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1983年(昭和58年)11月、「移情館」は神戸華僑総会から
兵庫県に寄贈され、改修されました。

翌年の1984年11月12日、孫文の誕生日にあわせ
「孫中山記念館」として一般公開。

1994年3月、明石海峡大橋の建設にともない
いったん解体し、西南方向約200mの
現在の場所に移転・復元工事が行われ2000年4月に完成。

2005年10月「孫中山記念館」から「孫文記念館」に改称しています。



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